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【054】小説「死神を食べた少女」/感想:シュバルツランツェンレイターを率いる少女の物語

碌な食べ物も与えられず、誰からも顧みられる事なく生き、常に飢えていた少女。
しかし、王国軍に偽装した革命軍による虐殺の手が村に及んだ時、彼女の運命は一変する。
食べ物の恨みを革命軍へとぶつけるため、王国軍の兵士となったシェラは、やがて恐るべき死神として、敵味方から畏怖の対象となっていくのだが…。

大別するなら、いわゆる主人公最強系ですね。
題名通り、死神を食べた事によって尋常では無い強さを手に入れます。
いえ、あるいは、そういった幻視をしただけで、元々から持っていた力なのかも知れませんけれど、どちらにせよ、その力に対する説明はありません。
強いから強い。
そこに細かい理由を求めてはいけません。

ただ、この作品が、粗製濫造の感がある主人公最強系作品の中で一線を画するのは、いかな主人公が強かろうと、時代の流れそのものに敗北していく事です。
主人公シェラの属する王国軍は斜陽の時を迎えており、圧政に苦しむ民衆は革命軍支持に傾き、地方統治者たちの多くも革命軍へ肩入れ。
結果、いかなシェラの部隊が局地的勝利を納めても、戦況を覆す程では無く、シェラを取り巻く状況も徐々に悪化していく事になります。

自分は、物語にとって最も重要なのは、均衡が取れているかどうか、だと考えています。
主人公最強系作品でも、ただただ主人公が強く、何があろうと無敵で、全ての問題を苦もなく解決して、めでたしめでたし。
なんてのは均衡が取れているとは思えません。
勿論、そういった、何のつまずきも無い英雄譚が好きという人も居るでしょうけれど。
真っ当に、落ちて上がるか、上げて落ちるか、あるいはそこから更に上がる物語、いわゆる起伏がある方が面白いんですよ。

溜め、と言い換えてもいいですね。
溜まっている鬱憤があるからこそ、爆発した時の爽快感が増すという。
この作品の場合は、それが敗戦濃厚な王国軍というわけです。
その枷があるからこそ、シェラの活躍が華々しくあると同時に儚く映るわけです。

この作品を読んでいて、ふと、北方謙三版の三国志に出てくる呂布を思い出しました。
そちらでは、呂布亡き後の物語でも、その系譜を継いだ黒色槍騎兵を率いる張遼の描写があるたび、良くも悪くも英雄であった呂布を思い起こさせる極上の物語でしたね。
興味があれば、そちらも合わせて読んでみると面白いかも知れません。
どちらも、ある意味で同じ「ファンタジー戦記」ですからね。
戦記物好きならオススメな両作品ですよ。

死神を食べた少女 (上)

死神を食べた少女 (上)

死神を食べた少女 (下)

死神を食べた少女 (下)

文庫版三国志完結記念セット(全14巻)

文庫版三国志完結記念セット(全14巻)