A/N=Prose

おおむね言いたいだけ。

【036】雑記:選択肢という名の刃

物事について、どちらを選ぶか迫られた事はありますか。
日常的に多いのは、何を食べるか、でしょうかね。
それに対して、何でもいい、どっちでもいい、と答えた事がある人も多いと思います。
そして、そう答えた事で、相手が不機嫌になった事も。

勿論、何を食べたいかを聞かれて、何でもいいと答えたのに、いざ何かに決まると、それは嫌、なんて言ったら、相手が不機嫌になるのも仕方無いですよね。
食べたい物が特に無くても、食べたくない物があるんなら先に言えよ、と。

でも、本当に何でもいい時っていうのは、あるんです。
どうしようもなく、あるんです。
何がいいか聞いてるのに何でもいいってどういう事なんだ、とか言われても、特に望むものが無いんだから答えようがありません。

特に、対象の物事に対して考えていない時に、それについてどうする、と聞かれても咄嗟には答えにくいです。
相手にしてみれば、その質問の瞬間まで色々と考えて、それでも結論が出ないから、こちらに聞いてきたんでしょうけれど、こちらにしてみれば突然の話なわけで。

つまり、食事について考える時間や場所、状況での食事に対する質問ならともかく、そうではない時に食事についての質問をされたって、上手く答えられない時は、どうしたってあるんです。
一切合切不機嫌になるな、とは言いませんけれど、せめて後者のような状況では、もう少し寛容になってもらいたいです。
また、寛容になりたいです。

選択肢の提示は、時として相手を怯ませる事があります。
相手の意思を尊重している、と言えば聞こえはいいですけれど、常に確固たる意思があるわけではないのが人間です。
選択肢という名の刃物を相手に突き刺そうとして、それが避けられたからといっても、次の暴力に出るのはいかがなものでしょう。
どうして決められないんだと、鈍器で殴り付けるかのように相手に詰め寄るのは勿論、溜息をつくなどのあからさまな落胆を見せて、相手の首を絞めるかのような態度も、控えた方がいいのではないでしょうかね。

相手の事が嫌いで、どうしようもないなら仕方ありませんけれど。
親兄弟や夫婦、恋人や友人、同僚など、その後も付き合っていく、いかなければならない相手なら、あまり責めすぎるのも考え物ですよ。
苦労はどうしたって消えないかもしれませんけれど、現在と未来を鑑みて、出来るだけ楽な落とし所を見付けつつ生きていきたいものです。

とは言っても、楽だからと、頭のおかしいシューキョーや、類似した自己啓発なんかに逃げ込むのは、どうかと思いますけれどね。
魔法のよう、とかいう言葉を使う奴は胡散臭いので要注意ですよ。

茂木健一郎の脳がときめく言葉の魔法

茂木健一郎の脳がときめく言葉の魔法